これまでの人生の振り返り パート3
前回のブログでは、就職するまでを振り返りました。
今回は、その続きです。今回で、振り返りは終了かと。
20代半ば過ぎに実家から通えるところに何とか就職しましたが、最初に配属されたところが、めちゃくちゃ残業が多いところで、4月からゴールデンウィーク過ぎまでは、平日は夜の9時まで、休日は朝から夕方までの勤務と、本当に休みが無かったですね。
残業代はしっかり支払われたので、同期よりも手取りは多かったです。
当時は銀行振り込みではなく、現金支給だったので、給料袋の厚さが頑張りの証でした。
通常、その配属先は4年くらい在籍するのが普通らしいですが、私はなぜか仙台市のある団体に派遣されることになりました。それも2年。
また地元を離れて、仙台市で一人暮らしをすることになってしまいました。
仙台に父親の知り合いがいて、ボロアパートを持っているということで、そこに住まわせてもらいましたが、ひどいところでした。
2年間、よくわからない場所で、何の役に立つのかもわからない仕事をさせられたわけですが、社会人になってからの一人暮らしは、それなりに楽しかったですね。自由になるお金が学生時代よりも多いですし、遠隔地手当的なものももらいましたし。
東北一の都市である仙台市での生活ですし、毎日のように飲みに行っていました。
今思い返しても、あの2年間は何だったんだろうと思います。
思い出すのは、国分町に飲みに行ったことやその当時仲良くなった人たちとバーベキューに行ったことですね。
仕事では、いろんな東北のまちに出張したので、それは記憶に残っています。
そして2年後。
秋田に帰り、普通の生活に戻りました。
秋田に戻って2年後に結婚して、その2年後に子供が生まれました。
子育ては、子供が丈夫ではなかったので、順調ではなかったですね。
いろいろな苦労がありました。
それでも子供は成長し、小・中・高と進むわけですが、これもなかなかに波乱に満ちた時代でした。子供によって、子育ての苦労って違うと思いますが、いやー、育てにくい子どもですよ(笑)
そうこうしているうちに、私、職場で昇進したんですが、名前ばかりの管理職というやつでした。部下のお世話もしながら、自分の仕事も普通にやって、残業ばかり。しかも管理職なので、時間外手当なし。そこにコロナ禍。さらに忙しくなり、全く休日がなくなり、心身に不調を来たし、職場を休職しました。
その後、職場に復帰しましたが、やはり本調子ではなく、休職を繰り返し、結局、仕事を辞めました。
秋田での生活も嫌になり、家族で相談した結果、全く違う場所で新たな人生を送ることにしました。
早期退職制度を活用し、退職金の上乗せをしてもらい、それを元手に、新天地で生活再建中です。
生活は苦しいですが、ブログを再開する気力も湧いてきたので、お金はないですが、数年前よりはだいぶマシな生活です。ストレスは、人間を殺しますよ、マジで。
ということで、今後もマイペースに記事を投稿していきます。
故郷を離れたので、秋田のことや実家がある湯沢市のことなども書いていきたいと思います。

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